以下、****がニフティに削除要請したブログの一部。俺がクラシックを批判した記事に対して**が反応した事実に注目した。
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(90年代始め、アムウェイがクリストフ・フォン・ドホナーニ指揮・クリーブランド交響楽団の来日公演を企業メセナ(賛助)した。アムウェイの高位資格のダイヤモンド・ディストリビューターの有資格者には、楽団員との談話特典付き公演のチケットが送られてきた。「あっ、クラシックももうダメだ、腐った。」と俺は思った。曲目はベートーベンの英雄だった。むろん中村は行く気になったが、複雑な表情をしていた。中村にはすでにアムウェイが詐欺であり悪であることを自覚していたので、崇高でお上品だと思って憧れていたクラシックまでアムウェイという悪に染まっていく事実に寡黙した。中村はクラシックを聴く心のなぐさめまで失ったかのような感じだった。チケットがない俺は行かなかったが、公演から帰ってきた中村恭巳の演奏に対する評価は否定的だった。公演後にアムウェイのつけた通訳付きで楽団員と話できたそうだ。中村が「ドホナーニさんの指揮はセルに比べてどうですか?」と(通訳に)質問したそうだ。(ホロビッツファンの中村は、ホロビッツが共演者のセルの名を口に出したので知っていたにすぎない)楽団員は、どうせこの日本人は英語がわからないだろうと楽団員同士で相談し、通訳を介して「今の指揮者の方がいいです」と答えさせたそうだ。このとき通訳が中村に耳打ちして「「今の指揮者の方がいいって言え」って他の楽団員が言っていましたよ。」と中村に教えてくれた。セルとはクリーブランド響の指揮者ジョージ・セルのことで、ホロビッツと関係があったので中村は名前を知っていた。俺が急速にクラシックへの関心を失ったのはこれがきっかけだ。アムウェイが歌謡曲や大衆芸能の協賛をやるならまだしも、ドホナーニまで汚いアムウェイの金にまみれてしまったとは、善良なクラシック観がガラガラと崩れていくのを実感した。巨悪アムウェイに荷担した芸術家はナチスに協力した音楽家と同様に許せない。かつて「一流の」と喧伝される音楽家がアムウェイやナチスを認めることがなければ、アムウェイの飛躍的発展もナチスドイツのヨーロッパ占領もなかったはずだからだ。高い地位を得ている芸術家や、作家や学者らの知識人には責任がある。「ドホナーニさんがアムウェイがいいと言ったから私も認めた」という人が多かったはずだ。アムウェイの創業者のリッチ・デボスはアメリカ貴族と言うべきフォード元大統領の親友だというから、ドホナーニにもカネを与えて悪に引き入れることに成功したのだろう。ドホナーニがアムウェイに落ちたということは、他のすべての指揮者や演奏家も、多分内田光子も、アムウェイの軍門に落ちたことを意味する。汚いカルトビジネスで何億人もの貧民の血を吸って肥えてきたアムウェイの息のかかったクラシック界など汚らわしいし、コンサート会場の空気すら吸いたくない。)(ブラームスの交響曲第一番は、ブラームスの遅漏ぎみのセックスを描写した音楽として有名。それをわかっていると聞いていて恥ずかしくなる。作曲家なんてそんな次元で作っている。ベートーベンも同じ。それを崇高ドイツ正統音楽と言う丸山眞男は笑える。クラシックマニアは幼稚だ。一日中クラシックに浸かり、死の床にまでCDプレーヤーを持ち込み、ヘッドホンを手放すことができなかった丸山眞男のクラシックへの依存ぶりは幼稚だ。しょうもないアニメでもフィギュアでもマニアのマニアなりの世界があろう。しかしそれを好きでもない他人に押しつけたり、万人に通用する価値だと信じて強要するのは幼稚だ。クラシックマニアはコンサートホールやオーディオルームにこもって自分たちだけ楽しくやってもらいたい。それを普遍の価値であるかのように他人に押しつけるな。)