« | トップページ | 腐ってるクラシック界。小澤征爾のサイトウキネンオーケストラも。 »

2018年11月21日 (水)

日本を滅茶苦茶に乱し、俺をアカデミックハラスメントし続けている丸山眞男の弟子たちのリスト

図書館で調べて判明した丸山眞男ゼミの主な著名人(同ゼミ名簿による)
 
天谷直弘(元電通総研社長、元通産審議官)
石田雄(東大名誉教授=日本政治思想史)
犬丸直(日本芸術院長、元文化庁長官)
今井清一(横浜市立大名誉教授=近代日本政治史)
神島二郎(立教大名誉教授=政治学)
小林直樹(東大名誉教授=憲法)
高柳信一(東大名誉教授=行政法、憲法)
徳田博美(元野村総研理事長、元大蔵省銀行局長)
平野龍一(元東大学長)
大野正男(最高裁判事)
坂本義和(東大名誉教授=国際政治)
永井陽之助(東工大名誉教授=政治学)
松下圭一(法政大教授=政治学)
松下康雄(日本銀行総裁)
赤松良子(元文部大臣、下労働省婦人局長)
花見忠(上智大教授=労働法)
藤田省三(法政大名誉教授=政治学)
宮下創平(衆院議員)
内田健三(東海大教授=政治学)
田口富久治(名大名誉教授=政治学)
西村康雄(国鉄清算事業団理事長)
堀尾輝久(東大名誉教授=教育学)
秋山昌広(防衛庁防衛局長)
江田五月(衆院議員)
中島義男(元大蔵省主計局次長)
(ノーパンしゃぶしゃぶ(大蔵省接待汚職)事件https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%94%B5%E7%9C%81%E6%8E%A5%E5%BE%85%E6%B1%9A%E8%81%B7%E4%BA%8B%E4%BB%B6で主計局次長を辞任、悪徳商品先物会社東京ゼネラルから収賄。)
江橋崇(法政大教授=憲法)
棚瀬孝雄(京大教授=法社会学)
五十嵐武士(東大教授=アメリカ政治外交史)
成田憲彦(細川首相政務秘書官)
庄司薫(本名:福田章二、芥川賞作家)
(妻の中村紘子の著書のゴーストライター(丸山眞男・ゆかりの証言による))
中野雄(元政策投資銀行、元ケンウッド社長、音楽プロデューサー、クラシック音楽評論家)
西田厚聰(元東芝社長。早稲田大→東大法政治学研究科、丸山眞男と福田歓一(クリスチャンで丸山の同僚)に師事。
 
「60年の会」
丸山真男、中島道子(弁護士、日本ペンクラブ)、高木博義(刑法学者)、内藤国夫(評論家、毎日新聞編集委員)、庄司薫、中村紘子(ピアニスト、ショパンコンクール4位入賞)、江沢雄一(元大蔵省国際金融局長、現日銀総裁黒田東彦の上司)、西尾勝(東大法学部長)、平栗隆之(信越アステック専務)(信越アステックは皇太子妃雅子のチッソ・日窒コンツェルンの信越化学系)
 
「ロゴス会」(たての会)
大野正男(最高裁判事、弁護士)、天谷直弘(元電通総研社長、元通産審議官)、
徳田博美(元野村総研理事長、元大蔵省銀行局長)
 
「丸山眞男を偲ぶ会」の参加者
(1996年8月25日開催。創価学会の本拠地信濃町の浄土宗寺院一行院の千日谷会堂で開催)
久野収(哲学者)、神島二郎(政治学者)、団藤重光(元最高裁判事)、武田清子(思想史家)、木下順二(劇作家)、松本三之助(政治学者)、三雲マリ(丸山の吉祥寺の自宅の隣に住む画家。)
 
丸山眞男の近所に住んでいた作家。
埴谷雄高(日本共産党員、マルクス主義者)
(中村恭巳の言によると、眞男が晩年交際していた唯一の人物で「お友達」だったとか。)
 
(ここに書いたすべての人物と俺は全く面識はない。名前も知らなかったのが多い。画家の三雲マリは、1990年代末みすず書房の丸山の本の中で、パソコン通信で書いていた俺を指して「丸山さんといつもゴミ出しで協力しています」と言った人物。やはり憲法改正すべきだ。これらの人物を一掃できる。問題は俺にとっての復讐と思考盗聴からの解放であり、日本の将来は二の次だ。俺は政治家でも学者でもない。作家にはならないさせられない。リストを公開しただけ。庄司薫以下の作家と出版社を許さない。あと共同通信出身の作家の辺見庸も丸山の弟子だ。)
 
他に吉祥寺東急インの日本料理店「むな方」で半年に一回程度開かれていた丸山健士を偲ぶ会合の席で、中村恭巳が論争したという学者の掛川トミ子(関西大名誉教授)も丸山眞男の親しい弟子だったようだ。中村恭巳は会合で「自分は健士の愛人だ」とひけらかした。そして、「丸山先生に対する口の聞き方が横柄だ」と中村を注意した掛川を罵倒し会の主導権を握った。(健士が本当にゲイだったかどうかは俺は知らない。ゆかりと眞男からはそうは聞いていない。まだゲイであることを親に言える時代ではなかったので、中村恭巳は「自分だけが知っている事実」として会合でしゃべった。俺が性的趣味を中村恭巳に告白させられゆすられたように、セックスで操るのが中村恭巳の常套手段なので、もし健士にゲイの趣味があったら中村恭巳にゆすられていたかもしれない。しかし健士は不細工で男らしくもなく不健康な容貌だったので、とてもゲイの中村恭巳の好きなタイプではなかったことも確かだ。親も学校も性教育を避けていることが教育の最大の不備であり、そこに眞男・ゆかりがつけこまれた隙があったかもしれない。この会合にはケンウッドの中野雄、中村恭巳と丸山健士の明星学園での同級生の鈴木牧彦(当時上智大心理学助教授)、明星学園教師でTBSラジオ「もしもし子供電話相談」の解答者で曹洞宗僧侶の無着成恭も同席したことがあった。中村の直接の友人で当時学問界にいたのは鈴木だけ。中村と掛川は会の常連メンバーだった。俺は一度だけ中村に連れて行かれたことがあるが(ここに書いた人物では鈴木以外とは誰にも会っていない)、その後中村は俺を避け、別のピアノの生徒(アムウェイの生徒)の佐藤富栄(新潟県人・東洋大・日本信販)を連れて行くようになった。俺は亡くなった丸山健士と一度も話したこともないし友人でもなかったが、佐藤はもっとひどくて、健士の死後5年以上してから東京に出てきた人物だ。中村は丸山に引き合わせて利益になる人物を連れて行ったにすぎない。中村は「丸山眞男さんに会いたければ300万出せ!」と俺に言ったので、俺は丸山への関心を失っていた。それで俺の代わりに会合に佐藤を連れて行くようになった。11/22加筆)

« | トップページ | 腐ってるクラシック界。小澤征爾のサイトウキネンオーケストラも。 »